目の前が真っ暗で、起きているのか寝ているのかも、わからない。刀が凌ぎ合う甲高い音が聞こえるから、誰かが戦闘中なのだろう。
そこまで考えて、護は目を開いた。
「やっと起きたね、化野。直桜が頑張っているんだ。簡単に殺されてやるなよ」
「朽木室長……」
目の前にある要の顔を眺めながら、自分の肩に手を置いた。
「治療、してくださったんですね」
呆けた頭で考える。
黒い旋風に飛び込もうとしたところで、刀を持った男に襲われた気がする。
「今、どうなって……。っ!」
起き上がろうとして、全身に激痛が走った。
「無理はするな。迫っていた刃は白雪が防いだが、荒魂の旋風に巻き込まれるのは止められなかった。すぐには動かん方がいいよ」
要の言葉にぞっとする。
大人しく要の膝枕に収まって、周囲を見回した。
白雪と剣人が、刀を持った男女二人と応戦している。
「俺んとこから出てったんだ。それなりに強くなってんだろうなぁ、ケン!」
「少なくとも、一倉さんよりは強くなってますよ。あと、今の俺の名前は剣人です」
「そりゃ、楽しみだ! 全部出してこいや、オラ!」
剣人が一倉と呼んだ男と応戦している隣で、白雪が退屈そうに剣を振るっていた。女性の剣士を適当に軽くいなしている。
「ねぇ、僕もそっち混ざっていい? この子、すばしっこいだけで剣技全然なんだけど。楽しくなーい」
「ひどーい。じゃぁ、本気出しちゃう」
「あ、いいね、その感じ。もっと本気出していこ!」
命のやり取りをしているはずなのに、会話は全く危機感
ピンポーン、と普段、滅多にならないインターホンが鳴った。 誰が来たのかは、気配でわかった。「開いてるから入っていいよ、清人」 事務所の扉が開いて、清人が顔を覗かせた。「いつもはインターホン押さないのに、どうしたの? てか、傷は大丈夫なの?」 事件直後は目を覚まさず、その後も回復室で療養していたと聞いている。 清人が気恥ずかしそうに頭を掻いた。「失血し過ぎたせいで貧血だったのよ。刺され所が悪かったみたいでさぁ。格好悪い姿、見せちゃったなぁ」 ははっと笑う清人に気が付いて、枉津日神が顔を上げた。「清人! 清人か! 怪我は良いのか? 生きておるのか?」 飛び出して抱き付くと、清人の顔をペタペタ触る。 身を引きながらも、清人が枉津日神をまじまじと眺めた。「生きてますよぉ。へぇ、顕現すると、こんな顔なんだねぇ。あの日は直桜だったからなぁ」「吾が直桜の姿だったから、庇ってくれたのだったな」「そういうわけでも、ないけどねぇ」 眉を下げる枉津日神の背中に清人が腕を回す。 護に促されて、清人がソファに腰掛けた。「お初にお目に掛かります、直日神様。枉津日神の惟神を受け継ぐ藤埜家が次男、清人と申します」 清人の口から出たとは思えない真面目な挨拶に、直桜と護は身を震わせた。「ほぅ、準備をしてきおったか。藤埜の家は、枉津日神を迎える準備があると?」 直日神が清人に向かい、微笑む。 清人が半笑いで息を吐いた。「集落の五人組筆頭・
禍津日神の神降ろし事件から数日が経った。 枉津日神の真名の封印こそできなかったが、荒魂にされた土地神は解放され、反魂儀呪のリーダーと巫子様を引き摺りだし正体を明らかにすることには成功した。13課としては、ギリギリの成果といえる。 しかし、八張槐にとってはこの流れも恐らく予測の範疇で、計画の一部に過ぎないのだろうと考えると、直桜としては複雑な心境だった。 枉津日神は惟神を得れば、真名を戻し荒魂に堕ちることは、ほとんどない。裏を返せば惟神が必須の神だ。 現在は直桜に降りているものの、この先どうするかを考えなければならなかった。 本日は『枉津日神の身の振りを考える』という名目で、誰も来ない事務所に酒を広げ、顕現した神々と四人、正確には二柱と二人で酒を酌み交わしていた。「吾は直桜の中に枉津日がおっても良いがな。二人で酒を交わせるのは、楽しい」 表裏の神だけあって、直日神は嬉しそうだ。 時々、口喧嘩はするものの、直桜としても二柱の神を抱える状況に不満はない。 目下の問題は、枉津日神だった。「清人に会いたい。会いたいぞ、直桜ぉ」 酒が入ると、清人の名を叫びながら泣く。 直日神は面白がって放置するから、いつも護が介抱している。 今日も例に洩れず、隣で護が背中を摩っている。「約束したであろう、護。吾は約束通り、直桜を返したぞ」 枉津日神が振り返り、護をじっとりとねめつける。 護がビクリと肩を震わせた。「いや、あの、それは、そうですが。もう少し待って……」「せめて、せめて、会わせよ。清人に会わせよ」 枉津日神が護の胸倉を掴んでブンブン振り回す。 護が、されるが
洞窟の中はすっかり伽藍洞になっていた。 直日神の浄化は荒魂にされた神々に留まらず、洞窟の中一帯を清めていた。そのどさくさに紛れて、槐を始めとする反魂儀呪は撤退したようだった。 禍津日神が生み出した雨雲はすっかり消えて雨も上がっていた。レーダーで観測できない線状降水帯が発生したと一時、世間で話題になったが、それは後の話だ。 槐の重圧術で負傷した術者はいたものの、死者は出なかった。むしろ一番の大怪我を負ったのは清人だった。 禍津日神はといえば、枉津日神の姿でまだ直桜の元に留まっていた。「まぁ、吾が怒ったら真名がでちゃう、みたいなものじゃなぁ。穢れた荒魂で無理に煽られたりせねば、そのままじゃよ」 直桜の中から現れた枉津日神は、さすが直日神と表裏というだけあって、どことなく似ている。「無理に真名を封じる必要もないか。惟神を得れば暴走の危険はないしの。それでお主は直桜の中に留まるのか? 直桜なら二柱を降ろすことも出来ようが」 梛木の問いかけに、枉津日神はいまだ目を覚まさない清人に視線を向けた。「吾は藤埜の人間が好きじゃ。だが、吾が降りれば負担をかけようなぁ」 枉津日神の横顔を、直桜はぼんやりと眺めていた。 惟神は、神が人を選ぶ。一つの家系を選んで代々引き継ぐのが定石だ。神がその血筋を好むのだ。「俺はどっちでもいいよ。けど、枉津日は清人が好きだよね」 枉津日神とはまだ魂まで繋がっていない神降ろしの状態だ。それでも、枉津日神の感情は伝わってくる。「吾のことなど知らぬくせに、刃から庇ってくれた。これからは吾が清人を守ってやりたいのぅ」「でも、清人さんは私たちのように御稚児修行を受けていませんし、危険じゃないで
祭壇に立った楓が何かの呪文を唱えているように見える。 その姿を護は禍津日神と見上げていた。「直桜が目覚め始めた。準備は良いな」 禍津日神を振り返り、頷く。 護の表情を見て取ると、手を天に向かい掲げた。「なれば最後は派手にいこうかの。雷鳴は武御雷神《たけみかずちのかみ》直伝の直桜の十八番じゃ」 禍津日神の掌に雷が生まれる。一直線に空に昇った雷鳴が広がる雲を刺激する。雲間に雷の筋が何本も走った。轟音と共に雷が激しくなる。 どくん、と禍津日神の体が波打った。「荒魂が吾の中で暴れておるわ。この感覚は、久しいの。血が沸くわ」 禍津日神の目が護に向く。 右の手に力を込めて、禍津日神に向かい構えた。 洞窟の上を覆っていた雲は、あっという間に大きくなり、流れていった。 本土を優に覆い尽くすであろう巨大な重い雲から雨が降り出す。「このままでは大雨の水害でこの国が沈もうなぁ、どうする、鬼」「止めます。この場で、直桜と直日神を返していただきます」「やってみよ」 同時に地面を蹴って、正面から突っ込む。 真っ直ぐに腹を狙いに行った護の右手は思い切り弾かれた。左手で禍津日神の右腕を摑まえる。強く引いても、体はピクリとも動かない。そのまま、また腹を狙うが、左手で弾かれた。 腕を解いて飛び退き、距離を取る。 まるで直桜とやり合っているような錯覚を覚えた。(練習ですら対峙したことはないから、直桜の戦い方を知らない。素手でいかないと、意味がない。が、ここは武器を使うか) 悩む護に、禍津日神が小さく首を振った。 周囲を見回すと、囲んでいた13課の別動隊が動き出している。護と禍
梛木と禍津日神が会話を始め、清人に絡み始めた辺りから、槐と楓はすっかり傍観に徹していた。「興覚めだね。思っていたよりずっと穏やかな神様だ。期待外れだな」 楓の不満そうな呟きに、槐が小さく笑みを零した。「こんなもんだよ、神様なんて。基本はお人好しの集まりだからね」 楓が不満そうに見上げる。その視線を、槐は困った顔で流した。「結局、兄さんは禍津日神をどうしたいの? 俺たちの味方にはなってくれそうにないけど」「今はね、まだ無理だよ。今回は、枉津日神の惟神の
腕を掴まれて、禍津日神が梛木を見下ろした。「誰よりも惟神を求めるお主が集落を壊すか。力が強すぎる二面の神を降ろせる依代を育てたのもまた、|彼《か》の集落ぞ」 睨み据える梛木に、禍津日神が息を吐いた。「直桜は良い器じゃ。しかし、このままでは吾が直桜を喰らうぞ。結局、あの時と同じよ。吾と共に生きられる依代はない」 禍津日神が周囲を窺う。「包囲は吾のためか? 反魂儀呪を捕らえるためか? また随分とかき集めたものだの」「両方じゃ。直桜は本来、直日の惟神じゃ。返してもらうぞ」「直日神、対の神でありながら、これほど立派な惟神と共に在れるとは。羨ましいのぅ」 そう語る禍津日神の表情は、犬のぬいぐるみに収まっていた枉津日神そのものだった。 禍津日神が梛木と話している隙を見て、後ろから袖を引かれた。 振り返ると清人が背後に立っていた。「神倉さんが説得しているうちに、枉津日神の真名を封じろ。周囲は怪異対策担当と諜報担当で包囲してる。反魂儀呪はこっちに任せて、護は直桜を救え」 ちらりと周囲を窺う。 多くの気配に気が付いているのは反魂儀呪も同じようだった。(槐が退路を用意していないはずはない。包囲された状況でもこの場に残っているということは、まだ何か企みがあるんだ)「清人さん、今動くのは、危険です。槐の計画はまだ終わっていない……」 清人の目が大きく見開かれて、動きを止めた。 視線の方に目を向けると、禍津日神の目が清人を捉えていた。 真っ直ぐに向けられる目に、動きを封じられたように、清人が動けなくなっている。「うっわぁ!」